2013年11月27日水曜日

旭岳源水を造ったとき。

12月の東川カフェ特集号の発行まで、もうすぐだが、
編集部では1月号に向けて走りだしている。














次のテーマは、「ひがしかわの水」だ。

東川町は、「道内唯一、生活用水をすべて地下水で
まかなっている町」。

早速、本日も役場の水の町東川の取り組みに
着手したときのご担当者の方にヒアリングへ行った。

そこで、今は観光名所として人が絶えない
「旭岳源水」を整備した話を聞いた際にこんな話を聞いた。

「旭岳源水」は、自然に湧き出ているように見えるが、
当時の担当者たちが地質調査などをして、ここにしよう!と
国から土地を買い上げたところから始まった。

「旭岳源水」のシンボルポイントである
岩から湧き出しているところを作ったり、
散策路や駐車場、水汲み場を設置したり、増設したりと、
とても大変な作業だった。

中でもシンボルポイントは、
当時、岩魚が生息していたり、梅花藻という白い小さな花が
咲いていたものを、工事の間は、そっと別の場所に移動させたり、
もとの水の流れを活かして、水流が死なない工夫を重ねたり、
関わった者みんなが、東川の自然を損なわないようにしたい、
という気持ちで専門分野以外にもそれぞれ想像力を働かせて取り組んだ。

その結果、水流はそのまま活かして、岩魚も帰ってきた。
そして、梅花藻も可憐な花を咲かせている。

完成から、1年たった頃に、その現場で中心となって関わった
建設会社の人が亡くなったそうだ。

町長や当時の担当者は、シンボルポイントの岩が重なっている
石の下の方にその人の名前と功績を刻んだ小さな石を
ひっそりと忍ばせたという。
 
あのとうとうと湧き出る源水にもたくさんの人の手や
想いが詰まっていたのだな。 今度いったときに、探してみよう。

小さな本誌には書ききれないだろうから、
ここで紹介させていただいた。